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尾小屋鉱山跡

最盛期には銅生産量で日本一

小松エリア
小松市尾小屋町
往事を偲ぶ大煙突が残る

往事を偲ぶ大煙突が残る

旧尾小屋鉄道のポッポ汽車

旧尾小屋鉄道のポッポ汽車

カラミ蔵

カラミ蔵

鉱山町の面影を残す「蔵」やポッポ汽車

小松市街地から車で東へ30分ほどの山間に、一時は銅の生産量で日本一を誇ったこともある国内有数の鉱山がありました。天和2年(1682年)以来約300年にわたり採掘され、昭和46年(1971年)に閉山した尾小屋鉱山です。
江戸時代から尾小屋鉱山は、金山として注目されていました。幾度か試験的な採掘がされてきましたが、金山としては品位が低く、盛業には到りませんでした。
明治13年(1880年)に加賀藩の家老であった横山家が経営に加わり、銅山としての試掘を開始。明治19年(1886年)に銅鉱石の新鉱脈が発見されたのをきっかけに隆盛期を迎えました。
しかし、その後の尾小屋鉱山の歴史は時代の流れに翻弄されたものでした。大正9年(1920年)には2度のストライキなど労働争議が頻発し、昭和6年(1931年)には経営が行き詰まり、鉱山は日本鉱業の手に渡り、昭和37年(1962年)には北陸鉱山へと再三経営者が代わったあげく、昭和46年(1971年)ついにその幕を閉じたのです。  閉山後、地元に尾小屋鉱山資料館が建てられ、鉱山の歴史や採掘技術・世界の鉱物を、実物や模型・道具などの展示で詳しく紹介しています。かつての坑道内部が見学できるようになっているマインロードでは、人形などで採掘場面をリアルに再現し、ちょっとした地底探検気分も味わえます。また、平成14年(2002年)春からは、鉱山鉄道として敷設された旧尾小屋鉄道のポッポ汽車3両が敷地内に移設され、見学できるようになっています。

 鉱山町の集落跡を訪ねてみると、道路沿いには朽ちた民家や空き地が目立ち、人通りはほとんどありませんでしたが、鉱石から銅をとった残り石で造られた蔵が残り、当時の面影を今に伝えています。廃屋の前で野良仕事に精をだす一人のお年寄りに出会いました。大正15年生まれで、閉山までこの鉱山で働いていた、というこのお年寄りは「昔のにぎわいが嘘のようや」と寂しそうでした。でも、「ここに映画館があって、あそこにはお寺。こっちには学校や」。当時の思い出話は尽きませんでした。

資料館やポッポ汽車を除けば、かつての鉱山町としての面影が残り少なくなった尾小屋町だが、集落跡を歩くと所々にブロックのような物で作った造作をよく見かける。これは「カラミ」と呼ばれ、尾小屋鉱山の精錬のときに出る上澄みの廃棄物を固めたものだそうだ。「カラミ」には六角柱、五角柱、立方体といくつか種類があり、塀や、擁壁、階段などに使われている。「カラミ」で造られた蔵が当時のまま残されているので、ぜひ見ておきたい「産業遺産」のひとつだ。

尾小屋鉱山跡
住所 〒923-0172 小松市尾小屋町地内
アクセス 北陸自動車道小松I.C.から東へ車で約30分