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山中漆器ができるまで 山中漆器ができるまで

   山中漆器のはじまりは、安土桃山時代の天正年間(1573〜1592)にさかのぼります。越前(福井県東北部)の山間部から木地師が石川県加賀市山中温泉の上流にある真砂地区に移住して、「轆轤挽き物」の技術が伝わったのが起源です。その後、山中温泉の湯治客相手の土産物を主に生産していましたが、1950年代後半になって、従来の白木地に加えて合成樹脂の製品も導入し、新しいライフスタイルに対応した食器や日用品の開発で、伝統漆器と併せて全国トップの生産額を誇る一大産地へと飛躍的に発展してきました。
 漆器が制作されるまでには、大きく分けて木地・下地・上塗・蒔絵の 四工程にそれぞれ7〜8年の修業でようやく一人前という職人さん達の技術の積み重ねによって作りあげられます。
 山中漆器の特徴は「ろくろ」の技にあります。わずか3ミリの間に十数本の細い線を挽く「千筋」や、木目の間が透けて見える「薄挽き」、稲穂筋の文様など、ろくろの巧みな技を駆使した技は山中漆器ならではのものです。
 また、木目の美しさとろくろの技術を表現するために、木地に生漆をすり込んでは拭き取るという作業を何度も繰り返し仕上げる工程の「拭漆」の漆器は、山中のろくろ技術を表現する独特のものです。
 山中にある石川県挽物轆轤技術研修所では、山中漆器の伝統技術を継承するために次世代を担う若者が日々研鑽に励んでいます。

山中漆器の歴史

天正年間(1570〜1592)
大聖寺川上流の真砂村に、越前から木地師が移住し、その挽き物の技術が伝わる。当初は白木地の挽物で、湯治客を対象とした土産物が主に製造されていた。
江戸時代前期
全国から名工を招聘して技術を導入し、現在に承け継がれているさまざまな技法が開発される。
江戸時代後期
370種類以上の漆器製品が作られ、全国に販売されるようになる。
明治〜大正時代
ろくろの機械が進歩すると同時に挽き物の技法も工夫され、生産性が向上し、漆器産地として発展していく。
1950年代後半
伝統的な木製漆器に加え、低廉価格で多様なデザイン・機能性を持ったプラスチック漆器の生産を開始。以降、機械化による大量生産により全国最大の年商額を誇る漆器産地となる。

山中漆器の特徴

山中漆器の特徴は「ろくろ」の技にある。わずか3ミリの間に十数本の細い線を挽く「千筋」や、木目の間が透けて見える「薄挽き」、稲穂筋の文様など、ろくろの巧みな技を駆使した技は山中漆器ならではのもの。

山中漆器の現在

山中漆器の生産額は、平成元年頃をピークに半分以下まで落ち 込んでいるのが現状。その主な理由としては、ライフスタイル の変化の他、贈答市場の縮小、安価な海外製品の流入などがあ げられる。

学んでいただきたいこと

・漆器の美しさ、強さなど、漆の機能性。
・木製漆器と樹脂製漆器のそれぞれの特徴。
・手仕事による物づくりの大変さ、大切さ。
・分業作業による物づくりの仕組み。
・伝統を守りながら、新しいものづくりに挑戦する姿勢。
・新しい取り組み腕時計や万年筆、アクセサリーやチェスなどの新商品の開発。
・人材育成の取り組み
山中漆器の原点である、ろくろ技術の習得と後継者育成のために、石川県立山中漆器産業技術センター・石川県挽物轆轤技術研修所を設立し、全国から多くの研修生を受けいっれている。

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