南加賀周遊

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仏御前ゆかりの地

仏御前ゆかりの地

ひげの梶さんと巡る南加賀の旅 3

ひげの梶さんひげの梶さんこと梶本晃司さん

 君をはじめて見る折は 千代も経ぬべし姫小松

 御前の池なる亀岡に鶴こそむれゐてあそぶめれ

仏御前は時の最高権力者、平清盛に白拍子としての技を見てもらおうと会いにでかけました。都で評判だったとはいえ、一介の白拍子、最初は会おうとしなかった清盛ですが、当時、屋敷にいた同じ白拍子、祇王のとりなしで会うことになりました。「君をはじめて見る折は・・・」、美しい声で今様を歌い、舞う仏御前。その非凡な才能は清盛の心を揺り動かし、彼の愛を一身に受けます。そして祇王は屋敷を追い出されることになりました。

 萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草いづれか秋にあはではつべき

春に草木が芽を吹くように、仏御前が清盛に愛され栄えようとするのも、私が捨てられるのも、しょせんは同じ野辺の草、白拍子なのだ。どれも秋になって果てるように、誰が清盛にあきられないで終わることがあろうか。祇王が襖に泣く泣く書き付けた一首の歌に、仏御前は無常を感じ、やがて祇王を追い、出家の道を選ぶのでした。

コラム

御前様まつり

御前様まつり白拍子(しらびょうし)の舞を奉納し、近隣から集まった人々は縁起を読んで仏御前を偲びます。白拍子は直垂(ひたたれ)、立烏帽子(えぼし)の男装でした。原町の子供たちが扮する白拍子も凛々しく美しく、仏御前を彷彿とさせます。9月16日およびその前後の日祝日の2日間にわたって開催。

スポット

木滑神社きなめりじんじゃ

木滑神社

吉野谷村木滑 見学自由 ○アクセス/マイカー利用をおすすめします。

仏御前が京からふるさとへ帰る途中、白山麓の木滑で清盛の子を出産する時に寄りかかった石が残っています。生まれた子は残念なことに生後2週間で亡くなったと伝えられていますが、石は安産のお守りとして信仰され、お産石奉祭堂があります。

仏御前の里ほとけごぜんのさと[尊像、屋敷跡、墓地]

仏御前の里

小松市原町ト24 0761-47-1241(尊像安置所) P有、尊像見学は安置所へ要予約 ○アクセス/マイカー利用をおすすめします。

祇王母娘のために残してきた形見の像が仏御前の死後、祇王寺より贈られ、現在まで美しいお姿で伝えられています。屋敷跡には石祠を中に2基の墓石が建ち、往時の庵が偲ばれます。

隣接する墓地には供養石仏、五輪塔が当時の名残を留め、謡曲[仏原]の世界が広がるかのようです。近くには生家の五重塔跡もあります。

泰産神社たいさんじんじゃ

泰産神社

小松市上麦口町 0761-24-8076 見学自由 ○アクセス/マイカー利用をおすすめします。

仏御前が人々の安産を願ってお社を寄進したと伝えられています。昭和54年の台風で大破しましたが、地元の方々の協力により復興、完成。いまも安産の神として広く親しまれています。

正覚寺しょうがくじ[履行(くつばき)阿弥陀如来]

正覚寺

加賀市大聖寺神明町2 0761-72-6678 P無し、見学は要予約 ○アクセス/JR大聖寺駅から徒歩7分、バス:キャンバスの山の下寺院群、石川県九谷焼美術館下車、徒歩1分

仏御前が去る時、平清盛はみずからの守り本尊を与えたと伝えられています。靴を履いた珍しい阿弥陀像であり、三蔵法師が中国から持ち帰り、文武天皇の時代に日本へ。その後、興福寺、石山寺、延暦寺を経て清盛へ、そして仏御前に伝わった仏様です。正覚寺には仏御前像も安置されています。

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