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実盛ゆかりの地

実盛ゆかりの地

ひげの梶さんと巡る南加賀の旅 2

ひげの梶さんひげの梶さんこと梶本晃司さん

10万騎といわれた平家の北陸遠征軍のうち、無事に都に帰りついたのは、わずか2万騎だったといわれています。大敗に終わった平家。そのなかには白髪を染めて出陣した気丈な老兵、斎藤実盛の戦死もありました。寿永2年(1183)6月1日のことでした。実盛は武士の鑑として人々に伝えられてきただけではなく、怨霊伝説により「虫送り」にその名を残しています。合戦に臨む彼の馬が稲の切り株につまづいて倒れ、不覚の落馬。実盛の悔恨がサネモリ虫となり、稲に禍をするようになったというものです。

稲の害虫を追い払うため、太鼓を打ち鳴らし、松明を掲げて田を巡る「虫送り」は川北町の手取の火まつり(8月開催)など今でも加賀地方の各地に残っています。

史実では実際に実盛が亡くなったのは6月、すでに稲は青々と穂をのばしていたはずです。切り株に足をとられたとは考えにくいと思いますが、さまざまな伝承に名を残すほど、実盛は身近な存在だったのでしょう。

コラム

実盛供養[2005年5月]開催

遊行上人が北陸を訪ねた際、加賀の篠原で実盛公の亡霊に会い供養したという謡曲[実盛]にちなみ、歴代の上人は一代に一度、実盛塚に参ったあと、舟で今江の上人河道を渡り、多太神社で兜の供養をすることがしきたりとなっていました。

近年は1956年に71世遊行上人を迎えています。2005年5月には約半世紀ぶりに時宗総本山の遊行寺(神奈川県藤沢市)から上人を迎える予定。舟渡しや供養を盛大に行う計画です。

[篠原慕情]で実盛を偲ぶ

[篠原慕情]で実盛を偲ぶ8月20日の[片山津温泉湯のまつり]では供養祭をし、実盛塚の前で地元の女子中学生たちが白装束の清楚な姿で[篠原慕情]を踊ります。源平の歴史をいまに伝える行事として、17年ものあいだ、受け継がれています。

実盛生誕の地へ足をのばして

実盛の生国である越前(福井)の丸岡町長畝(のうね)には実盛館跡や実盛堂、実盛池の伝承があります。「源平盛衰記」巻28によれば『平家越前国長畝城に籠て暫く息を休めけり』とあり、この長畝城が実盛の館だとされています。実盛堂には武人像の実盛像があり、また実盛池の水は実盛の産湯に使われたと伝えられています。

スポット

多太神社ただじんじゃ

多太神社 兜

小松市上本折町72 ※宝物館見学希望者はTEL 0761-21-1707(実盛之兜保存会)へ P有、境内自由、宝物館見学は要予約 ○アクセス/JR小松駅から小松バス上本折下車、徒歩1分 JR 小松駅から徒歩20分

木曽義仲が奉納した実盛の兜、大袖、臑当(重要文化財)を収蔵。松尾芭蕉も奥の細道で訪れ、境内には[むざんやな甲の下のきりぎりす]と記した句碑があります。ふだんは宝物館の見学は予約が必要ですが、7月下旬の[かぶとまつり]では一般公開しています。期間中は境内の能舞台で謡曲等を奉納。

実盛塚、篠原古戦場、首洗池さねもりづか、しのはらこせんじょう、くびあらいいけ

実盛塚、篠原古戦場、首洗池手塚山公園

加賀市手塚町 0761-72-6678(KAGA旅まちネット) P有、見学自由 ○アクセス/JR加賀温泉駅からタクシー12分、バス:キャンバスのホップホップ・実盛塚下車、徒歩2分

白髪を染めて戦った実盛の首を洗ったといわれる首洗池、なきがらを葬った実盛塚があります。首を洗ったという池は江戸時代すでに伝説をもって知られていました。池のほとりには実盛の首を前に嘆く木曽義仲や樋口次郎兼光らの像があります。また周囲は手塚山公園として整備が進み、静かなひとときをすごすことができます。

実盛塚は手塚山から西北に1.2キロ。垣根を巡らせた落ち着いたたたずまいです。

このあたり一帯には源平町や源平橋など、歴史に因む地名が残っています。篠原古戦場近く、日本海に沿って走る道が通称・木曽街道。木曽義仲が京へ攻め上る時に通った道だといわれています。

鏡の池かがみのいけ

鏡の池

加賀市深田町22 0761-72-6678(KAGA旅まちネット) P無 ○アクセス/JR加賀温泉駅からタクシー15分、バス:キャンバス EDO WONDERLAND KAGA下車、徒歩10分

「今日は最期だ。今は用無きこの鏡、今生の形見に伝えよ」と実盛が白髪を染めるために使った鏡を、村人が生仏池と呼ぶ縁起の良い清水池に投げ入れたと伝えられています。年一回の池洗いの時には古鏡を拝むことができます。

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